新渡戸稲造
世界の流れ
1926年
(大正15)
国際連盟事務次長を退任。貴族院議員に勅選される。
1926年
(中国)
第一次北伐開始
1927年
(昭和2)
3月帰国。10月菩提寺盛岡久昌寺に墓参。旧制盛岡中学校他で講演。
1927年
(中国)
上海クーデタ
1928年
(昭和3)
女子経済専門学校(現・東京文化短期大学)初代校長に就任。
1928年
(米・仏)
不戦条約(ケロッグ=ブリアン協定)締結
1929年
(昭和4)
大阪毎日新聞、東京日日新聞顧問に就任。
太平洋問題調査会理事長に就任。京都にて第3回太平洋会議開催、議長を務める。
1929年
(アメリカ)
世界恐慌始まる
1931年
(昭和6)
1月、産業組合中央会岩手支会長に選出される。5月、岩手支会創立25周年記念大会出席のため盛岡を訪れる。上海にて開催の第4回太平洋会議へ出席。
1931年
(日本)
満州事変起こる(柳条湖事件)
1932年
(昭和7)
2月、松山事件起こる。7月、渡米してアメリカ内で100回以上の講演をし、日米両国平和維持のために努力する。東京医療利用組合(組合長・新渡戸稲造)の設立が許可される。ハーブァホード大学により名誉博士の学位を受ける。
1932年
(日本)
満州国成立
1933年
(昭和8)
岩手県産業組合青年連盟通常総会、並びに同総裁推載式に出席のため盛岡を訪れる。
カナダ、バンフにて開催の第5回太平洋会議に出席。
10月15日、ビクトリア市にて死去(享年71)。
1933年
(ドイツ)
ヒトラー内閣成立

前のページへ
この画面を閉じます